セイ

私が思うこと、疑問なこと、興味があることに限らず、役に立つような情報も発信していく。

アドラー心理学を批判する人に物申す!

どうもみなさんseinosenです。

より多くの人に見てもらいたいのでなるべくたくさんの投稿をすることが目標です。

さて、今回の記事はタイトルの通り、アドラー心理学を批判する人たちにあれこれ言います。

私はアドラー心理学を批判する人のことを、簡単かつわかりやすく表すためにある呼び方をしています。

アンチアドラー(アドラー心理学を否定する行為や人)

特に深い意味はなくて、なんとなくで呼んでいるので、あまり参考にしないでください。ただ、今回の記事ではこの名称を使用すると思うので、頭の片隅にでも置いてください。

まず最初に、私がアンチアドラーに言いたいのは、「嫌われる勇気を読んだだけでアドラー心理学を理解した気にならないで!」ということです。

といのも、私がグーグル先生を使って見つけたアンチアドラー1人を除いて全てが嫌われる勇気しか読んでなかったことがわかったからです。

こんな話があります。

ある男性社員は嫌われる勇気を読んで、部下を信頼することにしました。そこで、ある企画を部下に任せたそうです。しかし、企画は結果的に失敗に終わり、7桁の大損をしたそうです。

実は、彼がしたのは「信頼」ではなく「放任」だったのです。本家の文中には、「部下を信頼して任せっきりにした。」という文があります。しかしこれでは、部下を信頼して任せたということにはなりません。

なにも信頼するということは、一切の手助けもせず、関わらないということではないのです。いうまでもありませんが、人は知らなければできないし、補助がなければ何かを成し遂げることは非常に難しいです。ここで彼がすべきだったのは、部下達に「手助けする準備はあるからわからないこと、難しいことがあったら頼りなさい」と助けが必要なときには助けられる準備が整っていると声をかけること、それが実行できる環境作りをすることです。

このように、嫌われる勇気だけでは、アドラー心理学が説いていることの真意を掴むことはできません。せめて、幸せになる勇気を読んでいれば、教育的にどうすべきなのかを踏まえて考えることができるはずだったのです。

アンチアドラーの中で唯一幸せになる勇気まで読んだ方がいましたが、この方の記事を読む限りでは、視野が狭いと感じました。思想は、創始者の経験や、その時代背景に大きな影響を受けて作られます。アドラーに限って言えば、軍医としてPTSD障害などの重傷患者を診察した上で、目的論を唱えました。狭い視野や単純な思考では、アドラーが壮絶な経験をしてなお何故目的論を唱えたのか、その真意を探ることはできません。

アドラー心理学を理解するには、広く深く考える力が必要です。なによりも、知識がなければあらゆる物事を理解することもできません。アンチアドラーの方々はこれらが欠如していました。

ですので、嫌われる勇気だけではなく、他のアドラー心理学関連の本を読んで欲しいです。

どうか、画面の前の皆様には、広い視野をもって、深く、慎重にアドラー心理学を理解していただきたいと思います。

皆様は、嫌われる勇気を読んだだけでアンチアドラーになっていませんでしたか?もし、なっていた、なっていたかもしれない方は、どうか正当にアドラー心理学をご理解ください。

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございます!