セイ

私が思うこと、疑問なこと、興味があることに限らず、役に立つような情報も発信していく。

私の記事を読む際の注意

どうもみなさん、今日ぶりです。

タイトルにある通り、私の記事を読むときに注意して欲しいことを書きます。

 あくまで個人の考え

私自身、アドラー心理学のみならず、あらゆる思想家たちの理論を完全に理解しているわけではありません。あくまで私は、なるべくその思想に沿った理論を展開しています。間違えてはないという確固たる自信はあります。しかし、実際に専門家の方に見ていただいて、納得していただけるような理論を展開しているかどうかはわかりません。正直、その理論が正しいかどうかの判断をするのは読者の皆様だと思います。

どうか、私の理論が絶対に正しいと思い込まないようお願いします。

ただし、理解するという点において、なるべくその思想の前提や、考え方に沿った理解をするよう心がけることを、お願いします。

じゃないと誤解が生まれるので(ボソッ

 

最後に

「sei387」というユーザー名でTwitterをやっています。そちらの方では今後雑学かなんかをツイートしていこうかと考えていますので、よろしければ...ね?( ◠‿◠ )

アドラー心理学の誤解を解いていく! その2

どうもみなさん、seinosenです。

前回の記事では、アドラーの生涯を知り、誤解その1を解いていきました。

この記事では、2つ目以降の誤解を解いていきます。

誤解その2「アドラー心理学はつらい経験をした人間を相手にしたことのない、未熟な思想だ。」

前回の記事を読んだ方々ならもうおわかりですね?

アドラーは1914年の第一次世界大戦において、軍医として招集され、戦争によって大量に誕生した精神病患者を数多く診察しました。

戦争なわけですから、毒ガスで死んだ人、蜂の巣にされた人、一瞬で肉塊にされた人を何度も見た人達がたんまりいるはずなのです。当然そうなれば、PTSD障害を患った方もいます。

軍医に課せられた使命は1つ。負傷した兵士を治療し、すぐさま戦線に送り出すことです。

幼い頃に弟を亡くして、医師を目指したアドラーにとっては苦渋の思いでした。彼は当時のことを「囚人のような思いだった」と語ったそうです。

こんな壮絶な経験があってもなお、画面の前のあなたはアドラー心理学が重い症状を抱えた人を考慮してない思想と言い切れますか?

多くの人は「言えない」と答えてくれることでしょう。

 

誤解その3「個人に責任を負わせる自己責任論である。」

アドラーは自由意志を強く認め、責任の所在を明らかにしました。確かに責任は個人にあると言っていると解釈できます。

しかし、自己責任論のように、責任が個人にあるからといって人を責めたり、救済しないことの理由にするのは間違っています。

自己責任論は「勇気くじき」の理論ですが、アドラー心理学は「勇気づけ」の理論です。

この2つは似て非なる理論です。

自分に責任があるということは、改善する余地があることを示してます。ここからいかに自分をよりよい人にするかが、重要になります。

 

誤解その4「人生は思いのままになるポジティブ思考」

過去、とても辛い経験をした人はそれがトラウマになり、それが原因で今不幸だと考えてしまいがちです。アドラーがトラウマを否定したのは、辛い経験をしても生きていかなければならないからで、トラウマを理由に自分の課題から逃げてはいけないからです。

前を向いて成長していくには、辛くてもその課題に向き合わなければなりません。

 

いかがでしょうか?

今回は4つの誤解を解いていきました。本当ならもっと多くの誤解を解きたいのですが、そうするとこんな感じの記事を5つぐらい書いてしまいそうなので、また別の機会にしようと思います。

アドラー心理学現代社会の思想などに大きな影響を与えた思想です。しかし、日本ではつい20年ほど前に輸入されたばかりの新しい思想です。そのうえ、シンプルで実用的なのでどうしても誤解が生まれてしまいます。

そういったことがないよう、微力ながらこのブログで解決できたらいいなぁ、と思います。

最後に、皆様にお伝えしたいことがあります。

前回と今回の記事は著書「嫌われる勇気」を読んだ人たちの誤解が中心です。この人たちに共通していたのは、嫌われる勇気1冊を読んだだけでアドラー心理学を理解したつもりになっていることでした。

残念ながら、アドラー心理学は嫌われる勇気だけで理解できるほど簡単ではありません。

この思想を理解するにあたって、注意して欲しいのは...

  1. 自分の理解が正しいかどこまでも吟味すること
  2. たくさんの関連した本を読むこと

要は慎重に理解することです。情報量が少なければ、その思想本来の目的が見えてきません。

なので、理解したつもりにならずに、他者との対話を重ねたり、たくさんの本を読んだりして、より理解を深めてください。

それでは、ここまで読んでいただきありがとうございます!

 

参考

Wikipedia

嫌われる勇気

幸せになる勇気

アドラー心理学入門書

ルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

ルフレッド・アドラー 一瞬で自分を変える100の言葉

人間関係が楽になる アドラーの教え

アドラー心理学の誤解を解いていく!

はじめまして。seinosenです。

このブログでは、Web上にあったアドラー心理学への誤解をいくつか解いていきます。

その前に、アルフレッド・アドラーという人物を知っておきましょう。

1870年2月7日、ウィーンの郊外ルドルフスハイム(ドイツ語版)で、ハンガリーユダヤ人の父とチェコスロヴァキアユダヤ人の母との間に生まれた。アドラーが育った家庭はユダヤ人の中産階級に属していて、父親は穀物商を営んでおり、母親は夫の仕事を手伝う勤勉な主婦だった。アドラーは6人兄弟の次男で、上に2歳上の兄がいた[1]。アドラーは、このような大家族の中で育ったことが自身のパーソナリティの成長と、後に独自の理論を発展させる基盤になったことを認めている。 

医師キャリア編集
アドラーは幼い頃に、声帯のけいれんとくる病に苦しんだ。また、3歳下の弟が生後1年でジフテリアで死んだこと、何よりアドラー自身が4歳頃に肺炎にかかって危うく死にかけたことが、医師を志す動機となった[1]。ギムナジウムを経て1888年ウィーン大学の医学部へ入学、1895年に卒業すると、ユダヤ人が多く中下層階級の人が多く住むウィーン2区レオポルトシュタットで眼科医、のちに内科の診療所を始めた[1]。彼の患者は概して裕福ではなく、診療所がプラーター遊園地の近くにあったので、遊園地で働く空中ブランコ乗りなどの軽業師や大道芸人など、自分の身体能力で生計を立てている人が多かった。その中には、幼い頃には身体が弱かったのにそれを努力によって克服して逆にその弱かった部分を強くしたり活かしたりしているのも少なからず存在したため、後に「器官劣等性」と呼ぶことになるアイディアについて考え始める切っ掛けとなり、これはアドラーが「補償」「過補償」の理論を発展させるのに役立った。また私生活では1897年に、ロシア系ユダヤ人のライザ・ティモフェヤーニャ・エプシュタインと結婚した。

1898年、アドラーは最初の著作となる『仕立て業のための健康手帳』を刊行した。アドラーは、あくまで医学の正しい知識を通じて社会をよりよくしようと考えていたので、当時沸騰していた政治運動とは一線を画していた。1902年にジークムント・フロイトから招かれてフロイトの研究グループに参加し、これが彼と精神分析との関わりの始まりとなる[1]。1907年に処女作の『器官劣等性の研究』を上梓、1910年にウィーン精神分析協会の議長に就任し『精神分析中央雑誌』の編集長を務めた。しかしこの頃からフロイトと意見を異にすることが多くなり、1911年にアドラーは主だった仲間と共に自由精神分析協会を設立(1913年に個人心理学会へと改称)[1]。フロイトらの学説とは完全に一線を画し、翌1912年に『神経質について』を出版した。

第一次世界大戦では1916年から軍医として従軍し[1]、戦争と大勢の負傷者・とりわけその中でも神経症の患者を大勢観察する中で、アドラーは共同体感覚こそが何にもまして重要であることを見出し、大戦終了後に共同体感覚を個人心理学の最新の基礎として語り始める一因となる。(wiki参照)

それでは、誤解を解いていきましょう!

 

誤解その1 「アドラー心理学は、努力すればなんでもできると唱える馬鹿の一つ覚えのような思想だ。」

鋭く申しますと、これこそが馬鹿の一つ覚えのような考え方です。

たしかにアドラーは、個人心理学講義という著書の中で、「人はなんでもできる」と語ったそうですが、この文一つくり抜いて考えたところで意味がありません。

先に記述したように、アドラーは医者です。流石に医者が、人間の生物学的な限界や遺伝による限界を知らないわけないですし、それを考慮しないわけがありません。

心理学は思想です。思想である以上、文一つを切り抜いて考えたところで筆者の伝えたいことを捉えることは一生できません。重要なのは、そのキーワードの前後の文です。大抵の本は前後に重要な文を書く方法で筆者の考えが主張されています。(中高の現代文の勉強でやっているはずなのでわかっていることかもしれませんが)

残念ながら私は個人心理学講義を読んだことがないので、前後の文は知りません。

しかし、様々なアドラー関連の情報を探るに、ここでアドラーが伝えようとしたことは、精神的なことのようです。というか、そもそも個人心理学講義は文字通り「心理学」なのでそれ以外ありえません。

「身体的に変えられないものは確かにある。しかし、不治の病にかかっていようとも、変えられるものがある。それは自分の心だ。不治の病にかかってもなお、勤めて明るく生きることを選ぶことで余生を充実させる。または、暗く生きることを選び、精神的に蝕まられる余生を送るか。余生の生き方を決めるのは、変えるのはできる。」

このように、人は自分自身を精神的に変えることができ、その中で我々はなんでもできる。

これが「人はなんでもできる」という言葉で伝えたかったアドラーの考えなのだと、私は考えています。

この後もいくつか誤解を解いていきたいのですが、流石に長すぎてしまうので次の記事で2つ目以降の誤解を解いていこうと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます!