アドラー心理学の目的論は、もしかしたら原因論の中にあるかもしれない
どうもみなさんseinosenです。
今回の記事は、アドラー心理学の目的論が、原因論の一部として見ることができるという考えを主張していきます。
アドラー心理学の目的論って何?
目的論とは、「Bするために、Aする」という考え方です。例えば、「相手を支配するために、怒る」や「楽しむために、笑う」といった感じです。
目的論は、未来の目標が現在を規定するとし、本人の意志が問われます(本人の主体性、自由があるということ)。
アドラーは、「人間の行動には、必ず目的がある」と考えました。
そう考えることで、個々の自由意志を認め、自分を変えられる可能性を示しました。
原因論って何?
原因論とは「Aだから、Bになる」という考え方です。例えば、「相手が失礼だったから、怒った」という感じです。
原因論は過去の出来事が現在の自分を支配するとしています(本人の主体性はなく、自由がありません)。
原因論的には、自分を変えることが出来ず、感情が主人であり、人間は奴隷です。
個々の自由を否定し、自分は支配されているため変えられてないとされています。
原因論の捉え方を変えてみる
目的論と原因論について軽く説明しました。こうして見ると、原因論は非情な理論というのが正直な考え方です。しかし、原因論を先に書いたような理論ではなく、特定の出来事の根源と考えてみます。
「ーするためにーする」というのが、今の自分を型作った根源です。そして、原因論は特定の出来事の根源を示すので、原因論の中に目的論が入ることがわかります。
それ以外にも、原因論はある出来事が自分を規定すると考えます。そして目的論は、自分が設定した目的によって自分を規定します。このようにして考えれば、またしても目的論が原因論の中にあるといえることがわかりました。
よって、目的論は原因論の中に含まれることが説明できました。
ご理解いただけたでしょうか。私は、目的論は非常に実用的で、的を射た理論だと思っています。しかし、原因という考えもなかなか捨て難いです。そこで、原因論の時代にそぐわない考えを切り捨て、より広義的な意味を持たせることで、時代に合わせた理論に仕上げました。
フロイト心理学における原因論は非情です。人の自由意志を否定し、人間を論的に奴隷化しました。私はこれに不快感を感じます。しかし、原因論の出来事による規定という考え方には、賛同できます。なので、あんな狭義的な意味ではなく、もっと広義的な意味があると考え、目的論と原因論を共存させることにしました。
私の語彙力不足や、作文に慣れてないことから、ちゃんとお伝えできる理論が展開できなかったのは申し訳なく思います。それでも、1人でも多くの方に、理解していただけたら幸いです。
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございます!